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戦国の人物 アーカイブ

北海道・東北「葛西晴信」・・・その1

戦国大名。

陸奥寺池城主。

葛西氏十七代目、最後の当主です。

葛西氏は祖を平氏葛西三郎清重に発し、文治五年(=八九)の平泉征伐の軍功で葛西七郡、胆沢、江刺、磐井、気仙、牡鹿、本吉などの諸郡を得、分限は三十万石と称されました。

嫡流家の奥州移動は四代清経の鎌倉時代末期と考えられ、初期の居城は石巻城(石巻市)でした。

南北朝抗争期に活躍した六代清貞は南朝に尽忠し、北畠顕家亡きあと、石巻城を南朝方の基地となすべく画策したと伝えられます。

その死によって雄図挫折し、南軍は北奥の滴石城(岩手郡雫石町)に撤退して行きました。

石巻地方の板碑紀年を見ると、興国四年(=二四三)をもって北朝方に転じたことがわかります。

北海道・東北「葛西晴信」・・・その2

室町時代前・中期における葛西史には不明の点が多く、系譜の錯雑が見られ、大別すると「仙台葛西系図」と「盛岡葛西系図」の二系に分類できます。

応仁の乱の余波で領内にも有力家臣団の抗争が相次ぎ、明応年間に薄衣美濃入道(盤井郡薄衣城主)が伊達成宗に宛てた「薄衣状」によると、領内ば大崎探題派と葛西当主派に分かれ、国を二分して争いました。

のち親探題派が軍事大国の伊達氏を頼み、宗清(伊達成宗の子)が葛西氏十三代を継ぎ石巻城に入ったことで、"親伊達""反伊達"の二大勢力へと変わり、領内抗争はしばし続きました。

『桃生山内伝』に見える永正年間における桃生郡主山内首藤氏と石巻系葛西氏との決戦も、前図式の上で考察できます。

北海道・東北「葛西晴信」・・・その3

「仙台系図」「盛岡系図」と二つに分かれ、相容れぬ形で系譜が伝承される所以は、この時代の根強い家臣団の対立を象徴的に物語っています。

登米竜源寺「小野寺系図」によると天文五年、十五代晴胤の代に石巻城から寺池城(登米郡登米町)に本城が移されました。

これは伊達氏の武力を背景に、石巻、登米二系が大同合併されたことを意味するものでしょう。

登米町には北の寺池城の他に南の山に保呂羽城あとが確認されました。

保呂羽城は瞼山に拠る要害なのに対し、寺池城は平凡な小丘にすぎません。

ここは行政庁。

したがって寺池城とは両城セットとしての総称てあろう十七代を相続した晴信は、十五代晴胤の異腹の三男と伝わります。

北海道・東北「葛西晴信」・・・その4

永禄三年(一五六〇)没の兄・十六代親信に代わり、永禄元年より当主の座に就いていました。

時に二十五歳。

晴信は一に信清、晴清、従五位下、左京大夫、壱岐守、相模守。

晴信が相続した戦国期は、葛西家にとっても内憂外患の時代でもありました。

外にあっては領界を接する大崎氏(大崎義隆)と競り合い、内にあっては巨大化した家臣団の抗争の鎮圧に明け暮れる毎日でした。

大崎氏との国境戦は元亀年間、栗原郡方面を中心に多発しました。

概して葛西氏は優勢で、栗原、登米方面の大崎勢を駆逐したのみならず、『葛西実記には大崎領の遠田郡まで攻め入ったとしています。

晴信治世の後半は、支族、有力家臣らの侵略抗争を調停、融和に奔走しています。

一例を挙げると、流庄寺崎良次と三迫の富沢直綱の交戦(天正七年〈一五七九〉)、胆沢郡の豪族柏山兄弟の軋礫(天正九年)、九戸政実の北上東部への侵入による小野寺宗道の敗戦(天正十年)、本吉大膳の叛乱(天正十四年)、浜田広綱の本吉郡侵攻(天正十六年)など枚挙にいとまがない。

北海道・東北「葛西晴信」・・・その5

天正十八年、豊臣秀吉の小田原の陣には、晴信は参陣を果たすことができず、ついに所領没収の憂き目にあいました。

参陣の配慮を失ったのは、領内の争乱鎮定に日時を費やし機を失したためといわれるが、大局観を欠き情況判断の甘さに根本原因があったのでしょう。

葛西氏「葛西真記録」などでは、豊臣仕置軍に対して華々しく抗戦し、晴信は戦火の中で自刃したと伝えられます。

しかし「大崎実記」にみえる―将軍の御勢に向かい一戦すべきようなく、同八月おちうせにける―とあるのが正しく真相を伝えたものであろうといわれています。

晴信は加賀藩に流浪し、慶長二年四月十九日彼の地で没したといいます。

関東の武将「秋元長朝」

口天文十五年(一五四六)生
口寛永五年二六二八)没
秋元氏は下野宇都宮氏の庶流。

上総国秋元郷が本貫。

同国守護犬懸上杉氏が禅秀の乱で失脚後、武蔵深谷上杉氏に仕え、「四天王」の一といわれました。

長朝は景朝(元景)の子、深谷で生まれる。

母は関東管領上杉憲政の養女。

孫四郎(忠四郎)・越中守を称す。

河越合戦後、憲政が越後へ去り、後北条氏との間で動揺した上杉氏憲は、上杉謙信の死後、北条氏政の娘を妻とし、秀吉の小田原征伐に同城へ籠る。

留守居の長朝は、子泰朝を小田原に送りました。

鉢形城攻めの前田利家・浅野長政が深谷城を攻め、開城した長朝は長政と同国忍城攻めに加わります。

井伊直政の口ききで徳川家康に仕え、関ヶ原合戦で上杉景勝への使者を勤めた功で、慶長六年(一六〇こ、六千石を加増され、上野総社一万石の城主となります。

大坂両陣にも参加。

新田開発など民政に努力しました。

元和八年(一六二二)致仕し、寛永五年、八十三歳で没しました。

関東の武将「足利晴氏」

口永正五年(一五〇八)生
口永禄三年(一五六〇)没
古河公方高基の子、母は下野宇都宮成綱の娘。

幼名は亀若丸。

政氏と争った子高基が宇都宮館にいたとき生まれます。

大永元年二五二一)、高基の意向で亀若丸と北条氏綱の娘(芳春院)が婚約しました。

享禄元年(一五二八)、越後の長尾為景があっせんして、亀若丸は将軍義晴の一字を賜り、晴氏と名乗ります。

天文四年(一五三五)、高基が死去。

叔父小弓御所義明・基頼が勢力を増すのを恐れ、北条氏綱を頼り、同七年、氏綱は下総国府台で戦い、義明父子は討死。

天文十四年、北条綱成の武蔵河越城を攻撃した上杉憲政は、晴氏に参陣を頼み、ついに憲政方に加わりました。

敗れた憲政は上野へ逃れ、晴氏は下総古河城に帰りました。

同二十一年、芳春院との間に生まれた梅千代王丸(義氏)に家督を譲った。

同二十三年、北条氏康に反抗して古河城に籠った晴氏・藤氏父子は、捕らえられて相模秦野に幽閉されました。

のちに下総関宿城で死んだ。

宗英寺(関宿町)に墓所があります。

関東の武将「上杉定正」

口嘉吉三年(一四四三)生
口明応三年二四九四)没
鎌倉扇谷に居館をもち、永享の乱で活躍、乱後に相模守護となった上杉持朝の子。

五郎・修理大夫を称しました。

享徳の大乱で古河公方成氏に対し、幕府は持朝に江戸・河越・岩付三城を築かせ、南武蔵も領国に加えられ、関東管領家山内上杉氏と勢力を伯仲しました。

この乱で顕房・政真父子が討死。

文明五年(一四七三)、弟定正が家督を継ぎます。

上杉顕定が同氏の家宰長尾氏の処遇を誤り、長尾景春が叛しました。

定正の家宰太田道灌は各地に奮戦し、この乱を鎮定。

同十年、成氏・景春は上杉方と和睦。

定正はこれに異見をもち、道灌が江戸・河越両城を修理したのを、顕定から訴えられ、同十八年、相模糟屋館(伊勢原市)に道灌を誘い出して殺しました。

事件後、顕定と定正は同国実蒔原・武蔵須賀谷原・高見原で激戦(長享の大乱)。

延徳元年二四八九)、江戸城代曽我祐重に、顕定と争うに至った由来を書き送った定正状は有名です。

養子朝良に家督を譲ったが、明応三年、顕定と高見原で対陣中に急死しました。

法名は護国院大通範了。

朝興は北条氏綱に江戸・河越・岩付城を落とされ、朝定のとき同氏は滅亡しました。

関東の武将「江戸重道」・・・その1

口弘治元年(一五五五)生
口慶長三年(一五九八)没
古代末期藤原秀郷の一族が常陸那珂郡に拠って那珂氏を称し、鎌倉御家人として将軍家に仕え、常陸守護佐竹氏に属し同郡江戸郷をえたのが江戸氏でした。

小野崎氏とともに守護代となり、常陸平氏の大探氏が拠る水戸城を奪いました。

通雅・通泰父子は佐竹義舜に協力して佐竹の乱を鎮定、佐竹氏から自立。

忠通は古河公方の内紛で佐竹氏と対立しました。

天文二十年(一五五一)、和議を結び佐竹氏に従い、南郡(鹿島・行方両郡)へ進出しました。

子通政は病弱のため、元亀元年(一五七〇)、元服したその子重通が家督を継ぐ。

結城晴朝の妹が妻です。

関東の武将「江戸重道」・・・その2

佐竹氏と同盟を強め、府中の大橡氏と争い、領内に神生氏の乱が起こり、一族の内紛で勢力を失った。

天正十八年(一五九〇)、秀吉の小田原攻めに参陣しなかった重通は、秀吉から常陸一国を安堵された佐竹義宣に水戸城の明け渡しを求められた。

十二月、義宣はこれを拒否した重通を攻め、水戸城へ入った。

重通は妻の実家結城氏を頼った。

結城晴朝は秀吉の命で、羽柴秀康に結城家の跡目を譲り、養女(重通の娘)をその室に定めた。

重通は同地で没し、乗国寺に葬られた。

法名は心巌唱安。

子宣通は越前に移った秀康に仕え、姓を水戸に改めた。

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